2006年06月07日

管理人からのお知らせ

まず、今回の騒動の件で不快な気持ちにさせてしまったみなさんにお詫びします、申し訳ありませんでした。

アフィリエイトを貼ったまま更新を続けていた理由としては、下記のまとめに書かれているようなことや

http://bun.s151.xrea.com/

そして、ひろゆき氏の発言

944 :ひろゆき :2006/05/28(日) 11:41:18 ID:DiZgZlW20 ?#
>>923
アフィリエイトが自体が悪いとは思わないけど、
コンテンツを利用してるのに、投稿したユーザーに敬意を払わないのであれば、
退場してもらうのもありかなぁと思ってたり

この辺りから問題はないと判断して更新を続けてきました。

しかし、コメント欄や2ちゃんねるユーザーのみなさんの意見を読んでいると、現状では更新を停止するのが妥当だと判断しました。

更新を楽しみにして下さっていた方には申し訳ありません。





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2006年06月02日

(*´∀`)ちいさな幸せ

536 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2006/06/01(木) 07:50:24 ID:sIpi2Ha4
3日前から38℃台の熱があったけど仕事の穴は開けられず無理して出勤。
昨日フラフラになりながら帰宅するとカレーのいい匂い。
小1の娘がジャガイモと人参だけのカレーを作って待っていた。
娘が愛おしくて愛おしくて、火の通っていない人参を食べながら涙が止まらなかった。
娘と二人きりの父子家庭だが、よい子に育ってくれたなと、親ばかだな俺。


537 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2006/06/01(木) 08:55:03 ID:OK6cl8b+
>>536
そりゃ、幸せだな。


538 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2006/06/01(木) 10:55:51 ID:5GwG5KBk
>>536
全米が泣いた


539 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2006/06/01(木) 12:46:06 ID:/dNqjB/g
>>536
いい親だからいい子に育つんだよ


540 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2006/06/01(木) 18:06:28 ID:5KRxQp0B
>>536
全米と全英と東亜と大日本が泣いた


541 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2006/06/01(木) 18:14:25 ID:n/hycOmx
>>536
全然小さくないんだよ、幸せが多すぎて気付いてないんか?


542 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2006/06/02(金) 00:43:58 ID:J1jQr23L
>>536
仕事の穴なんて、埋めてくれる人がいるであろう。
例え職を失っても代わりの仕事はあるだろう。
でも、娘さんにとって、アナタの代わりはいない。
体を大切に。





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2006年05月30日

ジャンプとぽたぽた焼

206 名前:大人になった名無しさん[sage] 投稿日:2006/03/17(金) 01:09:00
共働きだったため、おばあちゃんっ子だった俺は小学生の頃
おばあちゃんにジャンプを買いに行ってもらっていた。
確かその週はメカフリーザ襲来の回で、俺は楽しみに帰ったんだ。
でもおばあちゃんはその日に限って間違えてVジャンプ買ってきた。
すごくショックだった俺は「おばあちゃんのバカ!」と言ってしまい、
自分の部屋に引きこもって泣いていた。30分くらいたっただろうか、
おばあちゃんが部屋の前で「〇〇ごめんね。おばあちゃん今新しいジャンプ買ってきたからね。」
部屋の前にはジャンプとおばあちゃんと俺の好きなお菓子のぽたぽた焼が置いてあった。
バカな俺はおばあちゃんに謝りもせずに夕飯まで引きこもっていた。
一週間後にはまた仲良しに戻っていた。でも俺はずっとそのことを謝れずにいた。
小6の卒業式の2日前、家に帰るとおばあちゃんが倒れていた。
俺はすぐに救急車を呼んだけど、午後8時くらいに亡くなった。
不思議と涙は出なかった。あれを呆然自失と言うんだろう。
家に戻り、自分の部屋に入った。机の上には最新号のジャンプとぽたぽた焼があった。
涙が止まらなかった。大好きだったおばあちゃん。俺は一生あのことを悔い続けるだろう。





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2006年05月29日

小さな母

776 :可愛い奥様:2006/05/27(土) 16:28:16 ID:j94avSMD
怖い話ではなくて魂はあるっていうか、伝わる人には伝わるんだと思う事を書きます。
私の母は若くして亡くなったんですが、私を早くに産んでいたんで、亡くなった時、私には2才の子供がいました。母が「もう2〜3日」とお医者さんに言われた時から私はずっと病院に泊り込んでいて、家で娘を夫と義母が見てくれていました。母が危篤になった頃、ちょうど娘が高熱を出し始めてしまった事もあるのですが・・・。
母は私の娘をとても可愛がっていて、よくうわごとで「○○ちゃん、来てる?足音が聞える」等と言っていました。もうまさに母が危ないという時、家に泣きながら電話を入れました。
勿論私は夫や義母から後に知らされたのですが、娘は抱っこされながら時計を指差し「ばあちゃん、ばあちゃん・・・小さい・・小さい・・・」と言って泣き続けていたそうです。
お通夜の時も高熱は引かず、救急で病院にも行きました。
幸い風邪だとの事で大事には至らなかったんですが。夫は後から「お母さんがあの子を連れて行ってしまうんかと思った」と言っていました。そんな事を母がするはずないのですけど。
もしかしたら母の体調を娘が感じ取って、苦しんでいたのかも・・・とは思ったりもします。娘も母が大好きだったので・・・。
暮れに無くなって、年が明けても私は大人げ無く悲しみから立ち直れず泣いてばかりいました。
三月の節句には母が買ってくれた雛人形を飾りましたがその時も、娘は人形を指指し「ばあちゃん」と
嬉しそうに笑っていました。娘には何かが見えているのかな・・・と思ったりしました。

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2006年05月27日

親父が作ってくれた弁当

51 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2006/05/26(金) 20:58:52 ID:KQFLOVR2
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。





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2006年05月26日

手書きの攻略本

443 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/05/26(金) 00:52:54 ID:q2JxFMCT
共働きだったうちのカーチャン、職場の同僚がドラクエ4にハマってるって話を聞いて、
自分もやってみたいって言ってきた。でもスーパーマリオをちょこっとやったくらいしかなかったカーチャンは、初めてのRPGに戸惑ってちっとも先へ進めなかった。
そこでおれがノートに手書きで攻略本を作ってあげることにした。
カーチャンはそれを見ながら、1日1時間ほどのプレイでちょっとずつ進んで行った。
2・3ヶ月経った頃、4章に入ったあたりで、会社の健康診断に引っかかったとかで、入院することになった。
おれはカーチャンが退院したらまた再開できるようにと、5章の攻略本を書き終えて、退院の時を待った。
しかし入院は長引いた。「攻略本も全部書き終わったからね」とおれが言うと、「ありがとう。早く続きがやりたいねぇ、楽しみだよ」って言って笑ってたな。
でも結局、その攻略本が使われることは無かった。今でも手書きのその攻略本を見るとカーチャンの笑顔を思い出す。





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2006年05月25日

体を張って子供をキャッチ!

872 名前:1/2[] 投稿日:2006/05/25(木) 12:15:35 ID:UOoZnNjG
さっきの出来事なんだけど。。。
朝コンビニで買い物し、外を出て目の前の信号待ちをしてた時。
自転車の前(ハンドルに子供用の椅子を付けるやつ)に3歳位の子供を乗せたまま親は買い物していた
その子供はなんか泣きじゃくってて、ハンドルはグラグラ…倒れるぞオイって思ってたら、案の定傾きやがった!
慌てた俺はかっこ悪い体制だったが地面から30cm位のところでなんとかキャッチ!
しかし、貧弱な俺なんで惰性で子供諸共地面に少し頭打った。。。orz
子供は泣き叫ぶわ、その母親は俺が自転車倒したと思って「何やってんだよ!ゴルァせdrftgyふじこlp」
俺は「いや、自転車のバランスが不安定で危ないなと思って・・・(半泣き状態)」
「あんた警察呼ぶからね!」って言われ、完全にブチ切れた!

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2006年05月23日

合体ロボと安いおもちゃ

309 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/05/23(火) 13:19:01 ID:pxaNoJO8
悪いんだけど、俺のカーチャンの話も聞いてくれ。

家は貧しくは無いけど裕福でもない、そんなどこにでもある家でした。
小学生の頃、当時テレビでやってた○○レンジャーの合体ロボがどうしても欲しくて欲しくて
その気持ちを秘めながら毎日を過ごしてた。
だから誕生日に、おもちゃ屋でその合体ロボをねだった。
でも、やっぱ高価だったこともあってカーチャンは渋い顔をしてた。
「そっかー。これが欲しいのかー」って言いながら、何度もサイフを確認してたと記憶してる。
俺はその気持ちを察して、こっちのブロック(2000円くらい)も同じくらい欲しいからこっちが良いって言って
そっちの安いおもちゃを誕生日プレゼントとして買って貰った。


5年前の8月、夏の暑い日にカーチャンが死んだ。眠るように死んでいった。
死んだ後、家族みんなでカーチャンの遺品整理をしていたら引き出しの中から手紙を見つけた。
その手紙は家族全員に一言ずつ書かれてて、俺には
「あの日、困ってたカーチャンの気持ちを察して安いおもちゃにしてくれてありがとう。
 その気持ちを忘れないで。
 本当はもっと贅沢させてあげたかったよ。ごめんね。」(うろ覚え)と書かれていた。涙が止まらなかった。




轟轟戦隊ボウケンジャー轟轟合体 DXダイボウケン





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2006年05月17日

久しぶりの弁当に涙

885 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2006/05/17(水) 17:08:53 ID:28jErrsQ
母さんと父さんが別居してもう5年になる。俺は父さんと一緒に暮らし自営の仕事を手伝いながら生活している。妹は母さんと暮らしている。
今日、学校を早退した妹が来た。その時持ってきた弁当の久しぶりの味に懐かしくなり涙したんだ。なんかジーンときた。 そしたら妹が「それ、冷凍食品!」だってさ・・・('A`)





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2006年05月14日

ミヤちゃんの絆創膏

922 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2006/05/13(土) 17:33:47 ID:y/W9Z0850
こんなスレがあったんだ。俺の思い出。

幼稚園のころ、ころんでひっかき傷つくって泣いてたら同じクラスの女の子に絆創膏をもらったんだ。
金属の箱に入ったヤツ。5枚ぐらいあった。「全部あげる。無駄使いしちゃだめよ」って。
家に帰っておふくろに「絆創膏?ケガしたの?」って言われたんで剥がしてみせた。
ケガなんてどこにもなくなってる。不思議だったけど絆創膏のパワーだと信じた。

何日かして朝御飯のとき自分のお気に入りの茶碗にヒビが入ってるのを発見。
ガキの浅知恵だよね。ヒビに絆創膏はってみたんだ。
・・・・・・夕飯のときにはがしたら直ってた。
手押し車にアヒルがついてるおもちゃ。アヒルの首が取れちゃったんだけど
絆創膏はっておいたらやっぱり直った。

大切に使わなきゃ、とさすがに事の重大さに気づいた矢先、うちの猫のヤーヤが車にひかれた。
残ってた絆創膏全部はって、毛布をかけて幼稚園休んで看病した。
泣き疲れて寝ちゃったんだよね。ヤーヤに顔をなめられて目を覚ました。
治ってたんだ。傷なんか痕すら残ってない。明日幼稚園いったらミヤちゃんにお礼言わなきゃ。
「絆創膏くれてありがとう」って。

幼稚園行って気づいた。ミヤちゃんなんて女の子はいない。
絆創膏をもらった時以外に彼女をみたことなんてなかった。
なのに僕は彼女をみたときミヤちゃんだとなぜだか思った。

そういえばヤーヤを産んですぐに死んでしまった母猫もミヤだった。





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2006年05月13日

ばあちゃんとすごろく

772 名前:名無し職人[sage] 投稿日:2006/05/12(金) 02:20:45

オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。





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2006年05月11日

ほんとにプレステ3買ってくれるの!?

505 名前:なまえをいれてください[sage] 投稿日:2006/05/11(木) 12:41:09 ID:t8DZbQ4o
「ほんとにプレステ3買ってくれるの!?」
「今日はお前の誕生日だろ」
「・・・カーチャンお金あるの?お金大丈夫?」
「カーチャン今月残業いっぱいしたからね。四万あるから余ったお金で回転寿司行こうねえ」

       J( 'ー`)し
        (  )\('∀`)
        ||  (_ _)ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄





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2006年05月05日

脳内フィアンセ

26 :大人の名無しさん :03/10/20 00:43 ID:wjqygkao

もう10年も前の話。
俺が京都の大学生だった頃、男2女2の4人組でいつも一緒に遊んでた。
そんな俺たちが4回生になり、全員めでたく就職も決まった。
「もうこうやってみんなで遊べるのも残りわずかだなー」とか4回生時の後期は話してたなあ。

そして卒業が近づいてきた二月ごろ、急に4人の内の2人が「結婚する」って言い出した。
俺を含む残り2人は、びっくりしつつも心から祝福したよ。それにすげえ羨ましかった。
残された2人で「何か羨ましすぎるから、俺たちも結婚しようか?」なんて言ってたら、
「じゃあお互い30歳になってもまだ独身だったら結婚しよう」って話になった。
ありがちな話で恥ずかしいんだけどね。

そんなこんなで俺たちが25歳になった頃。
しばらく振りに仮フィアンセ(wに会った。
「あと5年で結婚するハメになっちゃうよ。結婚の予定ないのかよ」って聞いたら、「全くナシ」だって。
お互い笑いつつも、俺はちょっとホッとしてた。
この日、あ、俺本気でこの娘に惚れてるのか!って気が付いた。


27 :大人の名無しさん :03/10/20 00:44 ID:wjqygkao

その一ヵ月後くらいかな。脳内フィアンセが交通事故に遭ったのは。
即死だった。もうだめ。半狂乱みたくなっちゃって。仕事も長期休暇になった。
なんにもする気にならなくて、完全ヒッキー化してしまった。
そんな俺を助けてくれたのは、例の夫婦だった。
他県に住んでるのに毎週俺の様子を見に来てくれて。たまには仕事休んでまで来てくれて。
「うっとーしい!もう来ないでくれ!」なんて言ってしまっても懲りずに来てくれて。
無理矢理酒を一緒に飲みに連れ出してくれて。
俺がなんとか仕事に復帰した時なんか、号泣してくれちゃって。
考えたらあいつらだって俺と同じくらい悲しかったはずなのに。

今は毎晩思うよ。ありがとなって。本当にありがとなって。
おまえらに見捨てられてたら俺、狂いすぎて自殺してたかもしれない。
救ってくれてありがとな。

そんで、脳内フィアンセよ。
もうとっくに30歳は過ぎちゃったけど、俺結婚することになったよ。
だから約束は守れない。まあ半分以上冗談みたいな約束だったけどな(w
まあ見ていてくれよ。あいつらに負けないくらい仲のいい夫婦になってやるからさ。





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2006年05月04日

見えない常連さん

529 名前:名無し職人[sage] 投稿日:2006/05/04(木) 13:25:54
昔、俺がまだ神戸で雇われのバーテンダーだった頃の話。

その店は10階建てのビルの地下にあった。
で、地下にはうちの店しかないんだけど、階段の途中にセンサーが付いてて
人が階段を通るとカウンターの中のフラッシュが光ってお客さんが来たのが
わかる仕組みになっていた。

でもたまに、フラッシュが光っても誰も入ってこない、外を見ても誰も居ないって
事があって、俺は寂しがりやの幽霊でも来たのかなって半分冗談みたいに
ウイスキーをワンショットカウンターの隅の席に置いて「ごゆっくり どうぞ〜」と言っていたんだ。

それからはそれがおまじないというか、げんかつぎみたいになって
そうゆうことがあると、いつもそれをしてた。そのうちお客さんも
「おっ今日も来てるねー」みたいな感じになって(そうゆう日に限って店は凄く忙しくなった)姿は見えないけど、その頃は店の常連さんみたいに思っていた。

ある冬の朝方、またフラッシュが光ったんで、こんな遅くにお客さんかぁと思って
外を見ても誰も居ない。なんかそのまま朝の空気が心地よいので
階段の上まで昇って一服してたら、突然の大地震。そう阪神大震災です。
うちのビルは地下と一階部分がぺっちゃんこ。あのまま中に居たら確実に死んでました。

あとから考えるといつもただで飲ましてあげている、あの見えない常連さんが助けてくれたのかなぁと思います。

今も違う場所で自分でお店をやってますが、その店のスイングドアが風も無いのに
ギギィーって揺れたりすると、今でもウイスキーをワンショットカウンターの隅に置いてます。
そして心の中で「いらっしゃい。あの時はありがとうございました。」と思うようにしています。





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2006年05月03日

爺ちゃんの柔らかい顎下

491 名前:大人の名無しさん[] 投稿日:2006/04/26(水) 12:51:13 ID:areZ+wHB
皆さんのお話を読み、俺が高校生の時に逝った爺ちゃんの事を思い出しました。
乱文かと思いますが綴らせてもらいます。

俺は爺ちゃんにとって4番目の孫でしたが他の孫達は皆地方に住んでいて、
自営業の寿司屋を継いだ親父の子である俺を爺ちゃんは内孫として
特に可愛がったそうです。
でもまだ俺が小さい頃は、爺ちゃんが苦手でした。

小学生の時、俺は少年ラグビークラブに通っていて毎週日曜日の練習後は
仕事で迎えに来れない両親の代わりに爺ちゃんが迎えにきてくれました。
けど昼飯でたまにファミレスなんかに入ると爺ちゃんは昭和初期からの
職人気質で(寿司屋の板前です)中々届かない料理にウエイトレスを
度々呼んではいつも怒っていました。
その時の爺ちゃんは子供ながらに怒らせちゃいけない存在なんだと思っていました。

ある時、赤いファイアーパターンが自慢のMTBを爺ちゃんが勝手に真っ黒に
塗ってしまったことがありました。爺ちゃん曰く、
『赤い自転車なんて女の子の乗り物だぞ!』
らしく、流石に両親に泣き喚いて親父が爺ちゃんをこっ酷く注意したそうです。
普通の祖父なら新しい自転車を買うのかもしれません。けど爺ちゃんは
俺を地元の馴染みの喫茶店に連れてってこう言いました。
『俺が死ぬまでお前は此処でアイスくりぃむ食べ放題だぞ!』
あの恐い爺ちゃんがアイスって、可笑しかったのを覚えています。
いつも額に皺を寄せて恐い顔をした爺ちゃんでしたが甘いモノは大好きで
その間だけ笑顔になるのが俺自身とても嬉しかったんです。
それと癖なんですが俺は小さい頃から皺などの柔らかい部分を
撫でるのが好きで爺ちゃんに逢った時はよく顎下辺りを撫でさせてもらいました。
この時も爺ちゃんは嬉しそうに笑ってくれたんです。


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2006年05月01日

おしぼり

650 名前:ほんわか名無しさん[sage] 投稿日:2006/05/01(月) 00:12:10 O

小学校一年の時、
遠足に持っていくおしぼりを、父親に頼みましたが、両親とも共働きで忙しく、いつも約束を守ってくれなかったり、忘れたりするんで、母親にもおしぼりを頼んでいました。

遠足の日前日の夜、母親が新品のおしぼりセットを私にくれました。
父親は相変わらず毎日仕事で夜遅く、おしぼりも忘れてるんだろな-ぐらいに思っていました。


651 名前:ほんわか名無しさん[sage] 投稿日:2006/05/01(月) 00:27:13 O

遠足の日の朝、リビングの机に赤いおしぼりセットが置いてありました。
母親が、「お父さんも買ってたんだね」とハニカみながら笑っていました。
共働きの両親は、子供ながらにあまり仲良くないと悟ってて、
母親が父親の事で笑顔になったのは初めてのような気がしました。

父親もおしぼりセット忘れてなかったんだなぁと、二重嬉しかったです。


結局母親から買ってもらったピンクのケースに、父親から買ってもらった赤いおしぼりを入れて持っていきました。

その遠足が1番楽しい思い出です。


文才無くてすみません(´;ω;`)





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2006年04月28日

人生で一番の恩師

537 名前:大人になった名無しさん[] 投稿日:2006/04/26(水) 23:19:02
俺はガキの頃から夢があった
『野球選手』だ。野球が死ぬほど好きで毎日野球をやっていた
だけど、家庭環境が最悪で、親父が暴力振るったり、大麻に手を出したりなどで
入っていた野球チームを辞めさせられた。高校は入れたけど、野球はやれなかった
クラスでも、同じ中学の奴に家庭環境ばらされて、省かれて、常に一人だった。
だけど、そんな俺にいつも声をかけてくれた人がいる。当時担任だった、S先生だ。
S先生はいつも俺の話を聞いてくれたり、お袋が忙しい時は一緒に飯食ったりもしてくれた。
若くて、弱そうで、情けないっぽい先生だったけど俺は大好きだった。
ある日俺は何気無く、先生に野球の話をした。そしたら先生は『お前はやれるならずっとやっていたいぐらい野球がすきか?』
って聞かれて、俺は頷いた。先生はそうか・・・って感じだった。
ある日、学校に課題を忘れた時に職員室の前を通ったら、S先生の大きい声がした。
なんだろうと覗いてみたら、S先生が野球部の顧問の前で土下座していた。
何かしちゃったのかなって盗み聞きしてみたら・・・
『○○(俺)は凄く野球が好きなんです。彼は心から野球をしたがっています、勝手かも知れませんが○○を野球部に入部させてやってください!』
って言ってたんだ・・・もう俺おお泣きで、どうしていいかわかんなくなって職員室のドア開けて先生にもういいよ・・・先生ありがとうって言ったんだ。それでも先生は土下座をやめない。
『こいつに思い出を作らせてあげてください』って。。俺は思わず何で赤の他人にここまでできんだよ!って先生を怒鳴っちまった
そしたら先生は『その歳で夢を諦めんな!野球やりたいんだろ?』こう言われて俺もいっしょに野球をやらせてくださいって必死で頼んだ
そしたら顧問がOKしてくれて、俺は晴れて野球部に入部できた。レギュラーにはなれなかったけど
凄く満足できる三年間だった。S先生がいなければこんな満足できなかったし、きっと学校も辞めていたと思う。
S先生は白血病を煩っても、悪化して、もうこの世にはいないけど、先生が死ぬほど好きだ
野球できない時は運動音痴なのに一緒にキャッチボールしてくれたり、ノックもやってくれた。
先生、本当にありがとう、俺の人生で一番の恩師だよ。





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2006年04月23日

おじいさんの挨拶

644:水先案名無い人 :2006/04/22(土) 07:04:37 ID:t0gG+hEi0 [sage]
私がホテル勤めをしていた頃の話。

ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、

自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。

私はその後は仕事になりませんでした。
ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。





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2006年04月18日

遠足のおやつ

905 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2006/04/17(月) 12:47:49 ID:NM6QoebQ
小学生の頃、母親が入院していた時期があった。
それが俺の遠足の時期のちょうど重なってしまい、
俺は一人ではおやつも買いに行けず、
戸棚にしまってあった食べかけのお茶菓子とかをリュックに詰め込んだ。
そして、夜遅くオヤジが帰宅。
「あれ・・・明日遠足なのか」と呟き、リュックの中を覗き、しばし無言。
もう遅かったので、俺はそのまま寝てしまった。

次日、リュックを開けて驚いた。
昨日詰めたおやつのラインナップがガラリと変わっている。
オマケのついたお菓子とか、小さなチョコレートとか・・・
オヤジ、俺が寝てからコンビニ行ったんだな。
俺、食べかけの茶菓子でも全然気にしてなかったんだけどさ。

あの時、オヤジがどんな気持ちでコンビニへ行ったかと思うと、
少し切なくなる。





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2006年04月16日

母からの最後のメール

918 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2006/04/16(日) 15:48:08 ID:Gv3R9TMq
05/08/30 20:38
題名:えいが
本文:次のもくようびでいいよね?チケット買った?

会社帰りに歩いているときに確認した母からの最後のメール。

ちなみに次の木曜日は05/9/1。
接客業のパートをやっている母、さらに小売店で働いている俺は9/1の木曜日はちょうど休みだった。

母は「踊る大捜査線シリーズ」が好きな人で、5月には【交渉人真下正義】を一緒に見に行ったほどだった。
(俺と俺の彼女と母と祖母の4人で映画に行くことがたまにあった。交渉人真下〜も4人で見に行った)
このとき見ようとしていた映画は、【容疑者室井慎二】。
いつものように前売り券を4枚買ってある。あとは見る時間を決めるだけ。
調べたところ、11時05分からの回がちょうどよさそうだったので、何時からのを見るよーとか伝えるために母に電話を返した。

母「もしもしー」
俺「もしもしー○○だよ」
母「うん」
俺「映画11時05分からの回だから。あと、チケット4枚あるよ」
母「うんわかった。今日もちゃんと食べてる?」
俺「ごはんは食べてるよwってかいつもそういうこと聞くよねw」
母「まあ元気ならいいか。お母さん疲れたからそろそろ寝るよ」
俺「うん。おやすみー」
母「おやすみー」

そういって電話を切った。22時30分くらいだったかな?多分それくらいの時間だった。


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